今日は朝は早めに出発。最近、産炭地を巡っておりましが、今回は夕張を目指します。
夕張は山奥で紅葉山地区を除くと通過もしないので、本当に久々。
更に今回は万字線跡を巡りたいので、岩見沢経由で行きます。
行きは岩見沢インターから、万字線跡へ。岩見沢インターで降りたの初かもしれません。岩見沢までだと通常は国道で行くことがほとんどなので。綺麗に整備されている朝日駅跡や美流渡駅跡などを見学し、万念寺でお菊ちゃんの人形を拝見させてもらおうと思っていたのですが、早く出過ぎてまだ9時前で迷惑になると思って止めておきました。
その後は夕張まで山道を通って、夕張市の北端へ。ここでは夕張神社にお参り。ここは北炭夕張炭鉱の鬼門にあって炭鉱を守るための神社。一度焼失しており、再建時に無煙炭なども供給したということで東郷平八郎の自筆額縁などがあります。
続いて石炭博物館へ。昔は遊園地などもあったのですが、潰れてしまい跡しかありません。炭鉱後の町おこし方法は色々な手法が試みられ夕張はこういった施設を作った訳ですが結果としては、何も残らなかったという感じでしょうか。
ただ、石炭博物館だけは残っております。
入場は10時からとのことで、その跡地を少し散歩して、開場と共に入りました。
古くから炭鉱としてあったということで、戦前などの古い資料も多かったのは、他と違う感じでした。模擬坑道は数年前の火災で見られず。再建中だそうですが、いつになるかわからないので、今回はここだけで。
出ると11時半頃でお昼時だったので、名物?のカレー蕎麦を市内のお店で頂きました。美味しかったです。早かったので、ほとんど待ちませんでしたが、出る頃には混んでいた。
その後は鹿ノ谷駅跡などを見学し、南大夕張鉄道の車両などが保存された駅跡を見学、シューパロダムと清水沢ダムも見学しましたが、それぞれシューパロダムは前身の大夕張ダムは三菱大夕張炭鉱向けのダムで、清水沢ダムは北炭夕張炭鉱向け発電ダムで夕張川もこんなに近くに二つもダムがあってで、本当に炭鉱のための街だったのだなと実感しました。
最後に新夕張炭鉱跡へ。ここは最後に北炭が開発した炭鉱ですが、ここでは戦後2番目の93名の方が亡くなられた事故が起こり、その後閉山したところです。慰霊碑もあるので黙祷を捧げ、寂しげに残った会社の安全塔を見学しました。
あとは帰路。帰りは久々に札夕線にて。
途中はヤリキレナイ川などを見つつ、帰宅。
帰宅後、夕食は近所のラーメン屋さんへ。
内装を改装していた。最近、近所のファミレスが潰れていっていて寂しいが、改装したということは、まだまだやってくれるってことかな。ここだけは毎回来ているので。
帰ってからは、運転の疲れもあってか、直ぐに寝ました。
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